ゆりりんこの病活日記

心の病気と乳がんと乾癬 振り返りつつ心地よく生きる

私というもの。

私は、一個人として、さほど社会と深くかかわることもなく、淡々と生きている。
 
子供もいない。
 
夫もいない。
 
孤独な存在である。
 
ひどく孤独を感じるときがある。
 
そんなとき、凹の事を思い浮かべる。
 
孤独な世をすねた一匹の犬と出会ったのは運命だった。
 
その一匹の犬を友達に選んだ。
 
そして、ブログの仲間たちに「ボスになってあげなさい」と教えられた。
 
今では、一本のリードを引いたり引かれたりするだけで気持ちがわかりあえるようになった。
 
長い時間が必要だった。
 
毎日、凹がご飯を食べ終わるまで待って、きちんと片づけて、おやつをやって、目やにをとって、抱いて遊んで帰る。その時間が喜びだ。しかし、夏は暑く、冬は寒い。
 
それでも、凹との時間が大切なひと時だ。
 
心がいやされる。
 
私が歳をとったら、この凹との心の触れ合いを、とても懐かしく思うに違いない。
 
一匹の孤独だった犬と、孤独だった私が、心を通わせて、そしてなくてはならない存在になったことを、思い出すだけで、年老いた私は、心があったかくなるに違いない。
 
粛々と生きる暮らしの中で、黙って自分の時間を割いて、何ものかを愛し続ける。
 
そんな時間を、これからも大事にしていきたい。
 
そして、誰も見ていなくても、黙って努力することも、私の生きがいだ。
 
数年前までの、数年間、ある老婦人の足さすりをしに、施設に通っていた。
 
とても知的で気難しく孤独で、しかし根底に愛情のある老婦人だった。
 
週5回、施設に通い、45分間足さすりを続けた。
 
私の乾癬の事もあり、忙しくなってしまったためもあり、お休みをいただいている間に、亡くなられた。
 
その老婦人とすごした時間も、私にとって、ステキな贈り物だ。
 
このあいだ、気がめいっているときに、ある方から。その老婦人の形見の品のぐいのみを頂いた。
 
大好きな方から、大好きだった老婦人の形見の品を頂いて、心の底から嬉しかった。
 
「これからも、黙って努力する時間を大切にするのよ」
 
と言ってくれた気がした。
 
粛々と生活をする中で、孤独な者同士心をささやかに触れ合いながら、努力する時間を、これからももちつづけていきたい。
 
そんな黙ってした努力が、いつか私の心のともしびとなることを知っているから。
 
長文失礼いたしました。