乳がん再発。告知の日の出来事。
四年ほど前の出来事です。私は診察室の丸椅子に座っていました。
大学病院の乳腺外科の先生(女医さん)が、
「やはり悪性ですね」
とおっしゃいました。
二度目の宣告になります。
「入院手術ですか?」
「そうですね」
「先生、今回は全部とっちゃってください。いいほうの胸も、取ってもらえませんか?」
「今の医療では、がんのないほうの胸には手出しできません。後日手術ということになります。がんのある方の胸だけ全摘ということでどうですか?」
「では、そうしてください」
「今日中にCTをほかの病院で撮ってもらうことになります。他にもいろいろな検査を後日何回か受けていただきます。手術日については、最短にしますか?それなら今日決めることができます」
「最短でお願いいたします」
「では、そうですね~~。○月○日はどうですか?2か月後になりますね」
「はい。よろしくお願いいたします。精神科の先生との調整もありますが、この病院のの精神科の、S先生に、以前入院していた時にとてもお世話になっており、今でもお手紙のやり取りをしていますので、手術までの間に受診して、入院中のサポートをお願いしのます。今の主治医から禁煙禁止の命令が出ておりますので、たぶんご配慮いただくことになろうかとは思いますが」
「はい。わかりました。そうですね、うちは敷地内全面禁煙ですが、精神科のほうからの連絡を待ち、チームで対応いたします。う~~ん。敷地外にて喫煙していただくことになるかと思います。」
「よろしくお願いいたします。がんばります!」
「私も頑張りますね。別室にて係の者から説明があります。もうしばらく待合でお待ちください」
「はい、失礼いたします」
待合で待っている間、特に動揺もありませんでした。
とうとうこの日が来たか?という静かな感触しかありませんでした。
ずっと恐れていたことがすでに現実として目の前にありますので、もう怖がって生活することはないのだと思うと、肩の荷を下ろしたような、不思議な感覚がありました。
私は心の病気を持ってはいますが、数十年前の最初の入院の時に研修医だったS先生が、今この病院にいらっしゃり頑張ってみえて、ずっとお手紙のやり取りをしているとは、なんとラッキーなことでしょう!帰宅したらお手紙を書きましょう。心強いです。
前回とその前の精神科病棟への入院が禁煙中の出来事でしたので、心の病気の主治医の井上先生に、禁煙を禁止されています。乳がんになりながら喫煙しているのには、それなりに事情があってのことなのです。S先生がたよりです。S先生は、井上先生の、いわば弟子にあたる方です。きっとご配慮いただけるはずです。
別室にて説明を受けました。
何時にどこどこ病院に行き、CTを受けてください。車でない方は皆さんタクシーで行かれます。そうされてはどうですか?とのこと。
それまでの間に、入院案内で説明を受けてください。
今後の検査については、この書類を読んで、確認してください。
ドンドン物事が決まっていきます。
今、私は一人で告知を受け、その後の処理も一人で行っています。
しょうがありません。離婚して、子供もなく、親兄弟は田舎に住んでいます。
少し寂しくはありますが、悲壮感はありません。一種、爽快感さえあります。
さて、次の病院に行くまで、数時間あります。
私は心の病気の主治医夫人のワーカーに携帯しておきました。
「やっぱりがんだったよ。おかしいと思ったよ。このぐりぐりとうすい痛み。がんじゃないなら何なんですか?と聞こうと思っていたよ」
「えっ!早く帰ってきなさい!」
「それがやることたくさんあるのよ。これこれこうで、それそれそうで」
今はお歳を召されたので、クルマを運転しないワーカーが知人を頼んで、次のCTの病院まで送ってくださるとのこと。ありがたいです。
入院案内に行き、ビデオで説明を受けて、ワーカーのお迎えを待ちます。
気が付いたら、両手がいただいた書類でいっぱいです。
「落ち着け私」
あまりにもやることが多すぎて、少し、気持ちがいっぱいいっぱいになっていたようです。椅子を見つけて座って、書類を整理して、気持ちも整理して、書類をカバンに収め、気持ちも本来あるべきところに収められたようです。
そろそろワーカーに指定された外の場所で待ちましょう。
お天気のいい日でした。
外の空気が気持ちいいです。さわやかな気分さえします。
夏の初めのころでした。日差しがまぶしいです。
お迎えの車がやってきました。
ワーカーが車の窓から手を振ってくれています。
とてもうれしくホッとしました。
次の病院まで送ってくださいました。
車の中でも、さしたることは話していません。
運転してくださっていた知人が、スゴク心配してくださったことが印象に残っています。ワーカーはいつも通りの対応で、安心感を覚えたのも、思い出しました。
次の病院の前で、降ろしてくださり、「がんばってね。自力で帰れるわね」
私を信頼してくださっていると感じました。
「うんがんばる」
お腹がすごくすいていることに気が付きました。
朝ごはんの後何も食べていません。もう午後の診察が始まる前の時間です。
「そりゃーおなかもすくわな~~~~っ」一人くすりと笑いました。
受付に行き手続きを済ませて。何か軽く食べてもいいか聞きました。
「CTの撮影の際に、吐くといけませんので、食べないでください」
そりゃないぜ、エンジェル!
吐かないよ~~!お腹ペコペコだよ~~。
なんか食べたいな~~~ひどいよ~~。
笑えるほどお腹がすいていますが、我慢しましょう。
CT撮影をおえて、即座に売店へ。
もうお昼はずいぶん前のことです、ろくな食べ物が残っていませんでした。
とりあえず、おにぎりとお茶でお腹をだまして。帰宅の途に就きました。
それが、どれだけ記憶の糸をたどっても、どうやって帰宅したかが思い出せません。
それほど、私にとってこなさなければいけないことが多かった一日だったのでしょうね。
帰宅して、大学病院の精神科のS先生に、パソコンにて長いお手紙を書いて、やっと落ち着いて、深夜眠りにつきました。
がん告知の一日とは、本人にとっては、こんな感じです。
ドラマや映画のようなイメージではないですよね(笑)
ワッと泣いたり、少なくともホロリと涙をこぼしたりすることもありませんでしたので、ちょっと申し訳ない気さえする私です。(笑)
二度目の乳がんの手術とボーイフレンド。
私はもともとは、けっこうな巨乳でした(笑)
それが、最初の乳がんの手術で、片方巨乳、片方高校生の胸になりました。
温存手術でしたから。
今はいいものがあります。
ワコールのリマンマです。
乳がんの人専用のブラジャーです。どんなにちぐはぐになってしまった胸でも、外見はもともとの胸と同じにしてくれるすぐれものです。
外国製のアラモネアパットというものを装着するのです。
このパットも、いろいろな種類があって、私の場合は、重さも柔らかさも、手触りも、実際のおっぱいと同じ物でした。
私は、手術の後も、服の上からは、巨乳で過ごすことができていました。
大都市には、ワコールのリマンマルームという施設があり、プロのスタッフが、元来の胸に限りなく近い状態になるまで、いろいろなパットやブラジャーを次々と装着させてくださり、その技術と言ったら目をみはるばかりです。
そして、その心配りも素晴らしいのです。乳がんの手術を受けた心の傷を、優しく受け止めてくださり、心からの言葉で、力になってくださるのです。
相当な教育を受けてみえると想像できます。
笑うのですが、私には、「熟女用のパットをご用意しましょう」とおっしゃいましたよ。ちょっとたれてますからこれですね。なんてことは、絶対に言わないのです。
初めて、名古屋のリマンマルームに連れて行ってくれた義姉に感謝です。
外見巨乳に戻った私は、離婚後時間をかけてダイエットをし、ボンキュッボンになりました。
そんな私に、ボーイフレンドができました。
気分転換にと出かけた、美術館のレセプションで、偶然知り合ったのです。
私は、明治時代の貞操観念を持つ女と言われています。
そのボーイフレンドとも、キスもすることもなく、何年間も中学生のようなお付き合いをしていました。ボーイフレンドというよりも男友達と言ったほうがいいのかもしれません。
乳がんのことは、2回目のデートの時に、カミングアウトしてました。
とても驚いていました。リマンマのおかげさまというべきでしょうか?
その後も、中学生のようなお付き合いをしていたのですが、ボーイフレンドは、一緒に旅行に行きたがったりしてはいました。
とても仲良くなりましたので、私の部屋で手作り料理をごちそうしたりしてくつろいでいると「おっぱいさわらせろ~~~」などと笑いながら言ったりしていました(笑)
私は、心は中学生の女子ですので、やんわりと断ってはいましたが、なんだかかわいそうになってきました。外見巨乳のおばさんですし、相手は男性ですから。
それであるとき、
「じゃあ、もしもだよ、もしも私の乳がんが再発したら。そして手術が決まったら。おっぱい触らせてあげるね。旅行にもいこうね。それから手術するね」
我ながら、どういう精神構造をしているのでしょうか!?
そんな私が再発してしまいました。
「やはり悪性です」という乳腺外科の女医さんの言葉を聞いたとき、私の頭に何が浮かんだと思いますか?
「ボーイフレンドの顔」です。
「あの約束。マズイことになった」
今となっては、大笑いです。
私は、メールで、ボーイフレンドに、再発のことを報告しました。
あの約束のことは、どうか忘れていてくれ。との思いでした。
予想に反して、とても心配してくれて、旅行のことなど一切言い出さず、力づけてくれました。
そして、細胞を取り出して、どこまでがんがひろがっているか調べる検査の際には、病院まで迎えに来てくれると言いました。すっかり安心して頼りにしてしまった私は、素直に迎えに来てもらい、お礼に、部屋でお茶をごちそうしました。
その検査は、とてもハードなもので、胸の中に管を走らせ、いろんな場所で細胞を取るというものでした。歯を抜いたときのような痛みが、胸全体に広がっていました。
二人でくつろいでいたら、ボーイフレンドが
「おっぱいさわらせてよ」と突然言い出しました。驚きました。「もったいない」とのことでした。
私は怒りました。
「痛いって言ってんじゃん!」
「でもさわりたいよ~~!お願いだから触らせてよ~~~」
「だーかーらー!すごくいたいんだって!それどころのさわぎじゃないのよ!」
「そりゃわかるよ!そうだろう。痛いだろう!でも今となって失うものあるのか?」
「貞操を失う」
ボーイフレンドは黙りました。
今思えば、そりゃー話が違わないか?と思ったでしょう(笑)
すごすごと帰っていきました。
車に乗り込む後ろ姿に
「お見舞いには来なくていいよ。今日はありがとう」
ボーイフレンドは、振り返って、
「このままどこか薄暗いところに連れて行きたいよ」
と小さな声で言いました。
「あはは!ニューバージョンゆりりんこで逢いましょう。がんばるよ」
ボーイフレンドは、車に乗り帰宅しました。
まったく、私という人間は、、、。
約束を破るにも程がありますよね。
かわいそうなボーイフレンドとは、今もごくたまにあっています。相変わらず中学生のようなデートをしておりますので、ご安心ください。
ボーイフレンドよ、貧乳になった私にも、優しくしてくれてありがとう。
お花見に行ってきました。
お城公園です。
デイケアのお花見に行ってきました。
25日は、デイケアのお花見の日でした。もちろん参加してきました。
お城公園に行きました。
まだ、ちらほらとしか桜は咲いていませんでした。
さて、デイケアの花見の日ですが、毎年すごく寒いのです。
去年も、いざ出かける前にものすごく外が寒いことに気づいた私は、お昼寝用のマイブランケットを持参しました。
物凄く寒かったので、ブランケットを体に巻き付けて寒さをしのぎました。
他のメンバーさんたちに、「エスキモーか?」「インドのサリーか?」などと笑われました。
そこで今年は、いつものスプリングコートでデイケアに出かけはしましたが、カバンの中に真冬用のダウンコートを小さく折りたたんで、バンダナで包んで入れていきました。
デイケアについてからも、何回も外の気温を調べに行きました。
やはり今年も寒いです。
出発が近づくと、看護婦さんが、ダウンコートを羽織って登場しました。
他のメンバーさんもダウンジャケットを羽織りました。
私も、カバンから、ダウンコートを取りだして、羽織ることにしました。
出発の時間です。
先生と同じ車になりました。
先生はご機嫌さんです。
車の中でも楽しそうにお話されました。
先生は、ブラウンの冬のスーツ。カシミアの黒いコート、ボルサリーノの中折れ帽。
おしゃれすぎてみえないところは、さすが貫禄です。
車の中は暑いほどです。
さて、お城公園につきました。
よかった!やっぱり外は寒いです。ダウンコートを着てきてよかったです。
花冷えというのですね。
お弁当をいただきました。
みんなで、外でいただくお弁当は、本当においしいです。
これが楽しみで来ているようなものです。
みんなは、ブルーシートの上やベンチの上でお弁当を広げています。
私はその後ろの、平べったい石に座ってお弁当を食べていました。
毎年この石の上で、お弁当を広げています。
もっと離れたところで、一人お弁当を広げている青年もいます。
デイケア遊心の、この自由な雰囲気が、私はとても気に入っています。
さて、お弁当を食べながら。
私は面白いことを思いつきました。
「これは、お花見だぞ!宴会だぞ!歌でも歌わないか?楽しもうよ!」
そしてPSWさんに
「尾鷲節歌っていい?」と聞きました。
「どうぞどうぞ」(笑)
私は、前に出ていって、尾鷲節を歌いました(笑)短めにしときました(笑)
半分ぐらいのメンバーさんが、笑顔で手拍子してくれました。
楽しくなってきました。
「ありがと~~」と声がかかりました。うれしいです。
そのあと、スタッフ手作りの花見団子が配られました。
おいしいです。さらに私は、気をよくしました。
「東京音頭歌っていいですか?」
「どうぞどうぞ」(笑)
前に出ていって、身振り手振りを交え、東京音頭を歌い踊りました(笑)
「もっと歌って~~~~っ」
「盛り上がってきました~~~~っ」
嬉しかったです。
心の病気を病んでいるのに、なんでそんなのんきなの?と思われるかもしれませんが。
私は、元来、お祭り好きで、おちゃらけた一面を持っているのです。
一年ほど前、小学6年生の時の担任の先生に、50年ぶりぐらいに再会しました。
小学校の卒業式で、みんなお別れが悲しくて泣きだした時に、私が突然、踊りながら教壇に飛び出して、みんなを笑わせて、凄い子やなと思った。と教えてくださいました。
「多分、この子は、芸能関係に進むのだろうなと思ってた」とは、その先生の言葉です。
「おまえもいろいろあったんやな~~。いまもがんばっとんのやな。偉い偉い」
そんな私が、鬱になってしまう。心の病気は恐ろしいです。
昨年6月に、仕事を辞めてから、デイケアの仲間との交流が楽しみになってきている私です。デイケアでも笑顔をを心がけています。できない日もありますが、お花見の今日、みんなにサービスできた自分がうれしかったです。
八年間、介護助手のお仕事をさせていただいていました。仕事は昼から4時間でしたので、デイケアでお昼を食べてから、仕事に行っていました。毎日、「今日は、仕事に行けるかな?」自分の今日の精神状態を推し量ることで必死な午前中の私でした。
デイケアでの笑顔とか、ほかのメンバーとの交流などには、興味もありませんでした。そんな余裕は皆無でした。そんな私が、みんなとお花見を楽しんでいる。凄い変化です。やはり仕事を辞めたのは正解でした。そして、仕事を8年間頑張ったのも正解でした。
仕事を辞めてから、自分のために時間が使えるようになり、書き溜めてきた文章を、発表する場を探し、本にするということも考えましたが、縁あって、はてなブログさんと巡り合えることができました。進歩と言えるでしょう。
タバコをやめて、4か月目です。
色んなことが、いい方向に進み始めているのかもしれません。
感謝です。
さて、先生を先頭にしての散歩の時間です。毎年この散歩はサボらせていただき、喫煙所付近にいた私ですが、今年は先生の後ろから参加させていただきました。
ボルサリーノを頭に乗せた先生の後ろからついて歩くのは、久しぶりでした。
大学病院入院時に、白衣を着た先生と散歩したことが思い出されます。
今の私より若かった、当時の先生。とても姿勢がよく、背が高くてがっちりした体つきで、すごく頼もしかったのです。それに物知りで、色んなことを教えていただきながらの散歩は、入院中の最大の楽しみでした。
さて、お城公園を散歩していると、馬酔木の木に花が咲いていました。誰かがなんの花か質問しました。先生は、静かに「馬酔木(あせび)の花ですよ」とおっしゃいました。
私は「馬酔木の花を食べると、鹿が酔っぱらうから、鹿は馬酔木を食べないのよね。それで、奈良公園は馬酔木の木しかないんだよね、ほかの木は、鹿が全部食べちゃうんだよね」と何気なく言いました。
すると先生が、驚いたように振り返り「知りませんでした!」
「あれ?先生から聞いた話ではなかったのですか?」
「初めて聞きました!馬が酔うから、馬酔木と書くことしか知りませんでした!」
「先生から教えてもらった話だと思い込んでいました~~」
先生と目を合わせてくすっと笑いました。
体格が一回り小さくなられ、歩幅も小さくなられ、手すりに手を添えて階段を上がる先生。こんな風に、知らない間に追い越してしまうようなことがあろうかとは、思ってもみませんでした。
いつまでも、その大きな背中の後を追って、安心して、色んなことを教えていただけると思っていた私です。
あと何回、あと何十回、先生とお花見にこれるでしょうか?
当たり前に受け取っていた恩恵が、さらにありがたく思えて来た今日の私でした。
先生が、前を歩いてくださっているうちに、すこしでも自立して、もっと心の病気を安定させるように気をくばらなければ。
決意を新たにした、お花見の一日でした。
ちょっぴり楽しい記事が書けたかな?
今回は、ちょっぴり明るい気持ちになれる記事が書けたかも?
よかったら、ごらんくださいませ。
あの時は先生を困らせたなと笑えること
それは昔の思い出です。
結婚していたころのことですから、もう10数年前、もしかすると20年位前のことかもしれませんね。
乳がんの手術を体験した私は、お友達と温泉に行ってもいまだに一緒にお風呂に入るということが、どうしてもできないのです。ずっとそうです。
元来は巨乳でしたので、温存手術ではありましたが、アンバランスになってしまいスゴクみっともなかったんです。本人がそう思い込んでいただけかもしれませんが。
現在は、二度目の手術をしておりますので、小さい胸と、のっぺらぼうになって、とても身軽になりました。ヨガをしたり、Tシャツ一枚でも平気になりました。
今なら友達ともお風呂に入れるかもしれませんから、今度機会があればチャレンジしたいと思っています。
しかし最初の手術の直後は、とてもつらかったのです。
そんなとき、乳がんの女性の会、いうのを見つけたのです。
まだ、パソコンも触ってない時代のこと、どうやって探したのかしら?
今となっては謎ですが、片乳の仲間がよほどほしかったのでしょうね。当時の私は。
会報が送られてくるのです。
とても心強く思いました。
心の病気の主治医、井上先生は、そんな私を心配してくださってました。
「乳がんの会の仲間が、亡くなったりしたら、ショックを受けるから。
そんなに一生懸命になってはダメだよ」
と、優しく、注意してくださったりしていました。
当時私は主婦で、田舎で暮らしていました。
とても疲れやすかったです。
そのあと、延々と続くホルモン薬治療。毎日くたくたでした。
そんなときに、乳がんの会の会報に、素敵な記事を見つけたのです。
「バーデンバーデンの大浴場でみんなではだかで歩き回ろう」
いいな~~~!行きたいな~~~!絶対行きたい!
私は、目がハートになりました。
今となっては、どこの国だかも覚えていないのですが。どこか外国の、古代からある巨大温泉浴場で、乳がんの女性バス一台分が、全員片乳で、ふらふらする。
そんな企画旅行でした。
私は、元旦那にも相談せずに、すぐに電話して、パンフレットを取り寄せました。
毎日飽きもせずに眺めては、絶対行くぞ!と燃えてました。
今考えると、当時の私は、団体海外旅行に行けるだけの体力を持ち合わせていませんでした。
そんな私を心配して、元旦那は猛反対しました。
そして、月一回の井上先生受診の日が来ました。
私はカバンに、パンフレットを入れて、意気揚々と出かけました。
田舎から、津のクリニックまで、元旦那は反対し説得し続けましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。
私は何かに興味を持ち、関心を持ち、熱中すると、人のいうことなんか聞かなくなります。わたしはもう行くと決めていました。
さて、受診の時が来ました。
元旦那は、いつも一緒に診察室に入ってくれていました。付き合い始めてから、離婚寸前まで、ずっとそれが当たり前でした。私たちはとても仲が良かったのです。
その時も、診察室に入るなり、元旦那が先生に、
「先生、困ったことになりました。どうにかしてください」
と訴えました。
私は、カバンからパンフレットを出し
「どうしても行きたいんです!行かせてください!」
と嘆願しました。
先生は、とても静かに、真剣に、ゆっくりとパンフレットをご覧になられていました。
そしておもむろに、顔をあげてこういいました。
「この旅行は、おいしそうなケーキ屋さんや、地元のスーパーを見つけたら、即座にバスをとめて、みんなで降りて行って寄って、買い物して、食べたり、騒いだりするんだね。はたして、あなたの今の体力で、そんな旅行についていけるのかい?」
それは、内心、私が一番心配していたことでした。
まさに、痛いところをつかれました!私も、実は、体力的に自信がなかったのです。
私は、「負けない」と思いました。
「正々堂々と大温泉に、乳がんの仲間たちと一緒に入りたい気持ちが先生にはわからないのよ!」
先生と私の、静かな、でも熱い大論戦が始まりました。
長い戦いでした。
一時間ほど経過していました。
とうとう先生は、「注射しましょう」とおっしゃいました。
「お注射はしたくありません」
「今日は、注射をしてもらわないと帰せません」
「したくありません。どうすればいいのですか」
「注射をしたくないのなら、旅行に行かないでください」
そのころ私は、注射をされるのがとても嫌いでした。
これは、旅行をあきらめるしかないと観念しました。
しかしまだ、手はあるかも?
「先生だからダメなのよ。ワーカーなら行かせてくれたのに。ワーカーはみえないの?ワーカーを呼んでください」
私は、先生夫人のワーカーに助けてもらおうと思いました。
「ワーカーは、出張中です。ごめんね」
元旦那が
「ゆりりんこちゃん、1時間以上たってるよ。待っている患者さんに悪いよ~~」
この人もいたいところをついてきます。
私は、しぶしぶ、診察室を出ました。
待合室には、あふれんばかりの患者さんたちが、待って見えました。
私は、はっと我に帰りました!
「ごめんなさい」
と言いながら、深々と頭を垂れました。
待合室の方々は、きびしいお顔で私をながめてました。申し訳ない気持ちで一杯になり、バーデンバーデンのことは、瞬時にして頭から消え去りました。
おとなしく帰宅の途に就きました。
ああ!今思い出すととても懐かしいです。
まさに、今、デイケアで毎日通っている、あのクリニックの待合室です。
先生もあの頃は、若かったです。
先生の気迫のこもった診察力と、観察眼鋭い駆け引きで、やられてしまいましたね。(笑)
思い出すと懐かしくて、笑ってしまいます。
私も年を取りました。
最近は5分間診療ですよ(笑)それで十分です。
聞いてほしいことがあると、パソコンで文章にして、プリントアウトして持参し、診察の時間に読んでもらいます。それで、お注射が出れば、助かったとさえ思うこともあります。
この半年で、お注射は1回だけです。先生も「頓服で調節してくださいね」と放置プレーです。(笑)
ああ!本当に、いつも私を助けてくださってたんですね。31年間変わらずに、ずっとですよね。ありがとう先生。
いまになってわかります。あの時は、先生も、持てる能力のすべてを使って、私の暴走を止めてくださったのですね。先生も必死だったんですよね。お互いに若かったですよね。あはは。
時のたつのは早いものですね。そして、先生に診てもらってきた31年の間には本当に笑ってしまうことや、涙がにじむこと、今思い出してもうれしいことなど、いろいろな出来事がありました。
先生、これからもよろしくお願いします。
玄米のおにぎり
朝食にトーストを食べていたら。
乾癬が悪くなって来たので、玄米ギャバ増量を、また食べています。
トースト感覚で、朝食は、おにぎりのみ。
明日にでも、また、はてなブログの、ゆりりんこの病活日記、アップしますね。
仲間が、離れ離れになるのは、本当にさみしいね~。
このブログで知り合った方々との思い出は、宝物なのに、引っ越ししたら、コメント消えるんだね。
もったいないね!
歴史が消えるんだね。
最近よく8年前のブログ開設当初の自分のブログ読み返してます。
安心して、よく眠れるのよ。