ゆりりんこの病活日記

心の病気と乳がんと乾癬 振り返りつつ心地よく生きる

あの時は先生を困らせたなと笑えること

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それは昔の思い出です。

結婚していたころのことですから、もう10数年前、もしかすると20年位前のことかもしれませんね。

 

乳がんの手術を体験した私は、お友達と温泉に行ってもいまだに一緒にお風呂に入るということが、どうしてもできないのです。ずっとそうです。

 

元来は巨乳でしたので、温存手術ではありましたが、アンバランスになってしまいスゴクみっともなかったんです。本人がそう思い込んでいただけかもしれませんが。

 

現在は、二度目の手術をしておりますので、小さい胸と、のっぺらぼうになって、とても身軽になりました。ヨガをしたり、Tシャツ一枚でも平気になりました。

今なら友達ともお風呂に入れるかもしれませんから、今度機会があればチャレンジしたいと思っています。

 

しかし最初の手術の直後は、とてもつらかったのです。

そんなとき、乳がんの女性の会、いうのを見つけたのです。

まだ、パソコンも触ってない時代のこと、どうやって探したのかしら?

今となっては謎ですが、片乳の仲間がよほどほしかったのでしょうね。当時の私は。

 

会報が送られてくるのです。

とても心強く思いました。

 

心の病気の主治医、井上先生は、そんな私を心配してくださってました。

乳がんの会の仲間が、亡くなったりしたら、ショックを受けるから。

そんなに一生懸命になってはダメだよ」

と、優しく、注意してくださったりしていました。

 

当時私は主婦で、田舎で暮らしていました。

とても疲れやすかったです。

放射線治療や、抗がん剤

そのあと、延々と続くホルモン薬治療。毎日くたくたでした。

 

そんなときに、乳がんの会の会報に、素敵な記事を見つけたのです。

 

「バーデンバーデンの大浴場でみんなではだかで歩き回ろう」

 

いいな~~~!行きたいな~~~!絶対行きたい!

 

私は、目がハートになりました。

 

今となっては、どこの国だかも覚えていないのですが。どこか外国の、古代からある巨大温泉浴場で、乳がんの女性バス一台分が、全員片乳で、ふらふらする。

そんな企画旅行でした。

 

私は、元旦那にも相談せずに、すぐに電話して、パンフレットを取り寄せました。

毎日飽きもせずに眺めては、絶対行くぞ!と燃えてました。

今考えると、当時の私は、団体海外旅行に行けるだけの体力を持ち合わせていませんでした。

そんな私を心配して、元旦那は猛反対しました。

 

そして、月一回の井上先生受診の日が来ました。

私はカバンに、パンフレットを入れて、意気揚々と出かけました。

田舎から、津のクリニックまで、元旦那は反対し説得し続けましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。

 

私は何かに興味を持ち、関心を持ち、熱中すると、人のいうことなんか聞かなくなります。わたしはもう行くと決めていました。

 

さて、受診の時が来ました。

 

元旦那は、いつも一緒に診察室に入ってくれていました。付き合い始めてから、離婚寸前まで、ずっとそれが当たり前でした。私たちはとても仲が良かったのです。

 

その時も、診察室に入るなり、元旦那が先生に、

 

「先生、困ったことになりました。どうにかしてください」

と訴えました。

 

私は、カバンからパンフレットを出し

 

「どうしても行きたいんです!行かせてください!」

と嘆願しました。

 

先生は、とても静かに、真剣に、ゆっくりとパンフレットをご覧になられていました。

 

そしておもむろに、顔をあげてこういいました。

 

「この旅行は、おいしそうなケーキ屋さんや、地元のスーパーを見つけたら、即座にバスをとめて、みんなで降りて行って寄って、買い物して、食べたり、騒いだりするんだね。はたして、あなたの今の体力で、そんな旅行についていけるのかい?」

 

それは、内心、私が一番心配していたことでした。

 

まさに、痛いところをつかれました!私も、実は、体力的に自信がなかったのです。

 

私は、「負けない」と思いました。

 

「正々堂々と大温泉に、乳がんの仲間たちと一緒に入りたい気持ちが先生にはわからないのよ!」

 

先生と私の、静かな、でも熱い大論戦が始まりました。

 

長い戦いでした。

 

一時間ほど経過していました。

 

とうとう先生は、「注射しましょう」とおっしゃいました。

 

「お注射はしたくありません」

 

「今日は、注射をしてもらわないと帰せません」

 

「したくありません。どうすればいいのですか」

 

「注射をしたくないのなら、旅行に行かないでください」

 

そのころ私は、注射をされるのがとても嫌いでした。

これは、旅行をあきらめるしかないと観念しました。

 

しかしまだ、手はあるかも?

 

「先生だからダメなのよ。ワーカーなら行かせてくれたのに。ワーカーはみえないの?ワーカーを呼んでください」

 

私は、先生夫人のワーカーに助けてもらおうと思いました。

 

「ワーカーは、出張中です。ごめんね」

 

元旦那が

 

「ゆりりんこちゃん、1時間以上たってるよ。待っている患者さんに悪いよ~~」

 

この人もいたいところをついてきます。

 

私は、しぶしぶ、診察室を出ました。

 

待合室には、あふれんばかりの患者さんたちが、待って見えました。

私は、はっと我に帰りました!

 

「ごめんなさい」

と言いながら、深々と頭を垂れました。

 

待合室の方々は、きびしいお顔で私をながめてました。申し訳ない気持ちで一杯になり、バーデンバーデンのことは、瞬時にして頭から消え去りました。

 

おとなしく帰宅の途に就きました。

 

ああ!今思い出すととても懐かしいです。

まさに、今、デイケアで毎日通っている、あのクリニックの待合室です。

 

先生もあの頃は、若かったです。

先生の気迫のこもった診察力と、観察眼鋭い駆け引きで、やられてしまいましたね。(笑)

 

思い出すと懐かしくて、笑ってしまいます。

 

私も年を取りました。

最近は5分間診療ですよ(笑)それで十分です。

 

聞いてほしいことがあると、パソコンで文章にして、プリントアウトして持参し、診察の時間に読んでもらいます。それで、お注射が出れば、助かったとさえ思うこともあります。

 

この半年で、お注射は1回だけです。先生も「頓服で調節してくださいね」と放置プレーです。(笑)

 

ああ!本当に、いつも私を助けてくださってたんですね。31年間変わらずに、ずっとですよね。ありがとう先生。

 

いまになってわかります。あの時は、先生も、持てる能力のすべてを使って、私の暴走を止めてくださったのですね。先生も必死だったんですよね。お互いに若かったですよね。あはは。

 

時のたつのは早いものですね。そして、先生に診てもらってきた31年の間には本当に笑ってしまうことや、涙がにじむこと、今思い出してもうれしいことなど、いろいろな出来事がありました。

 

先生、これからもよろしくお願いします。