ゆりりんこの病活日記

心の病気と乳がんと乾癬 振り返りつつ心地よく生きる

はじめまして。初めてデイケアに行った日のことを思い出してみました。

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 私は、心の病気歴31年。乳がんは、二度の手術をへて20年目。乾癬は13年目になります。

 

 これから、心の病気、乳がん、乾癬、旅日記、日々の暮らしなど、皆様の心に届く文章をお届けしていきたいと考えています。

 

 何卒よろしくお願いいたします

皆様に、初めましての気持ちを込めて、15年前に初めて精神科デイケアに行った日のことをお伝えします。

 

 

    2004年6月1日のこと。

 

 2004年の5月26日。私は七年半共に暮らしたKちゃんと離婚した。お天気のいい日で、二人そろって役場に離婚届を出しに行った。

 役場の受付の女の子に

「こんな仲のええ夫婦がこんなもんもって来るで、こんなとこの受付らあ、しいとーないんさ!」

と怒られてしまった。仲良く離婚届けを提出した後、少しドライブして喫茶店でサンドイッチを食べた。明るい日差しの差し込む席だった。

 

 それから一週間足らず、離婚した元夫の家に置いてもらい津に出てきた。私は誰も恨みには思わなかった。いよいよ立ち去ることになった安住の地との別れを惜しみつつ、毎日元夫の好物を夕食に作り続けた。元夫はおいしそうに全て平らげてくれた。

荷物も仲良く二人で分け合った。

「Kちゃん、これやるわ?好きやったでな」

「それなら、ゆりちゃん、これもってけま」

それはまるで、遠足に行く前の日の双子の兄妹のように見えたに違いない。

 

いよいよ、6月1日の朝が明けた。

ワーカーと約束した、津に出ていく日だ。新天地となるはずの、新しい心のよりどころになるはずのデイケア遊心に出発する日だ。

 朝食を済ませ、小さな旅行鞄を肩から提げ、玄関のある部屋に、私と元夫はいた。駅まで送ってやるという元夫に、私は優しく断った。

 汽車の時間が近づいてくる。

 私と元夫はお別れのハグをした。

 

玄関を出て、私は後ろを振り返らなかっただろう。とてもよくしてくださった前の家のご夫婦に心の中で目礼をした。夏になるとたわわに実をつけた、元夫の家のヤマモモの木の下を一歩づつ歩き通りに出た。  

 いつもよく通る近所の道を、私は今日決意を持って歩いている。

「ありがとう。さようなら」

 

 駅について汽車を待っている間、爽快な気分で、のんびりとさえしていた。汽車はついた。汽車に乗った。汽車は走り出した。涙は出なかった。

いいお天気の素敵な朝だった。

 

惜別の情より、ワーカーの待っていてくれるデイケア遊心に近づいていく嬉しさのほうが勝っていたのだろうと、今になって思う。

 松阪で近鉄に乗り換え、津新町に着いた。バス乗り場を聞いた。親切に教えてくださった。土手のバス停でバスを降りた。デイケア游心は、もうそこだ。

 

 ふと目をやると庭いじりをしている方と目があった。

「こんにちは、ご苦労様です」

と思わず声をかけたら、その御婦人は、一束の黄色い小菊を分けてくださった。

(幸先がいい!お土産もできた!)

私は嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 

まもなくデイケア遊心に着いた。ワーカーが待っていてくれた。スタッフの皆様もご挨拶をして迎えてくださった。

 そこから先は、今でも嬉し涙が出てくるので書くことができない。

 

あれから15年。私は今、あの日、一人で歩いてきた自分の足跡が、元夫の家から、デイケア遊心まで。高い空に上がれば、くっきりと小さく点々と続いているのがみえるに違いないと考えている。それは決意を持って、一歩づつ津に向かって、デイケア遊心に向かって歩いてきた道程だからだ。

 

もう一度、あの日の決意のことを。デイケア游心に初めて来た日のことを思い起さねばならないと、強く思っている。