初めてヨガをしたときのことを思い出している私。
最近、マッサージの先生からは卒業しましたが、マッサージの先生からはいろいろなことを学びました。
ヨガでもしてみたら?と勧めてくださったのはマッサージの先生でした。
パソコンでヨガ教室を探してみたら。。。
自宅から徒歩5分のところにヨガ教室が見つかりました。
体験レッスンにいってみました。
何も持っていかなくていいんです。
水分だけ持っていけば、動きやすい服装で行くだけです。
先生のご自宅で、若い主婦の先生と2,3人の生徒さん。
さてヨガを教えてもらいました。
予想に反して、すごく楽です。
きつくありません。
アッという間に、1時間経過しました。
帰り道です。
足の裏が、確かに大地を踏みしめているという感覚がしました。
骨格が、理科室の骨格標本のような正しい位置になっている感じがします。
空から、糸で引っ張られているような姿勢のよさです。
それにあれほど悩まされていた肩こりが、きれいさっぱりなくなっているのです。
ヨガって体にいいんだな~~~っ。
あんなに簡単な動きだけなのに?
これはすごいな。
翌日、仕事をしていたら、軽い筋肉痛がしました。
それがですね。
骨格が正しい位置に戻ったので、緩んでいた筋肉が引っ張られて痛い。という痛みなのです。
体の内側から、筋肉が引っ張られているのです。
普通に激しい運動をした後の筋肉痛とは、明らかに違う痛みでした。
そして驚いたことに、仕事が終わるころに、あごが痛くなってきました。
私は片方の奥歯を、上下抜いてしまい無いんです。
歪んでしまっていたあごの骨が、正しい位置に戻ったため、痛みを生じているらしいのです。帰りのミーティングしながら、あごのマッサージをしました。
15分ほどで、あごの痛みはなくなりました。
帰宅して、お風呂に入りました。
なにこれ?
お腹が引っ込んでる!わ~~~~っ!うれしい!
時間をかけてダイエットに成功した私でしたが、お腹だけぽこんと出ていたのです。それが、お腹がへこんでいます。
驚いて、鏡を見てみました。
若いころの自分の裸を見ているようです。
スゴイ!
たった1回で、この効果!
肩こりも治っています。
その夜は、本当にぐっすり眠りました。
その後、4日間ほど、姿勢がよく、絶好調で過ごしました。
ところが、5日目辺りから、筋肉のゆるみを感じ始めました。
元の緩んだ体に戻っている感じです。
これも多分必要なのでしょう。
絶好調のままでは、おかしいです。
私はもうヨガのとりこになりました。
ヨガ教室に行くのが楽しみでなりませんでした。
不思議なことに2回目からは、そんなに体調の変化を感じませんでした。
しかし、周りの方々から。
「いつもカッコイイね」
「姿勢がいいね」
と言われるようになりました。
気が付くと、仕事でも、階段を駆け上がるようになっていました。
これは本当に不思議な現象でしたが。
私は、生まれつきお尻が小さいのです。
それが、ヨガを始めてから、お尻のラインがしっかりしてきたのです。
トイレに入った時に、お尻を撫でては、我ながらうっとりしてました(笑)
どんなに太ってもMサイズだったショーツが、Lサイズになった時は、狂喜乱舞しました。お腹はへっこんでいるのに、お尻がパンと張っているのです。
体幹がしっかりしてきて、立っているのが楽です。
私は気が付くと、毎朝6時に起きて、1時間ヨガをする生活になっていました。
そのうちヨガのインストラクターになりたいという夢を抱きました。
教えたいという欲求からではなく、もっとヨガを深く知りたいという欲求からでした。
また機会があれば、そのチャレンジについても書きたいと思います。
失敗に終わりました。
ヨガ熱が少し冷めました。
その後、骨折などして、ヨガから遠ざかりました。
体重は7キロ増えました。
身体がふらつく感じにもなってきました。
体幹が、心もとなくなっている感じです。
まずダイエットを始めました。
3キロ落ちた時点で。
「ああ~~ヨガがやりたい!」
という欲求にかられました。
体重が減っても、美しく健康的でなければ意味がないですよね。
私は、本能的に、ヨガを必要としてきました。
そして、ヨガを再開し、今二週目です。
やはり、たった2週間でウエストが締まり、お尻が大きくなってきました。
これからも、ヨガを続けていきたいと思っています。
ヨガの先生と私。減薬。
私は、昨年夏、普通の道を普通に歩いていてこけて足首を骨折しました。
全治6か月でした。車いす生活を余儀なくされました。
毎日お部屋で過ごしていました。とても不自由で孤独でした。
デイケアにも通うことができませんでした。
ある日、お部屋でなすすべもなくごろごろしていましたら、ドアチャイムが鳴りました。
車いすに乗って、ドアを開けると、ヨガの先生が立ってみえました。
「わ~~!先生!驚きました!」
「驚かせるかとは思ったんですけど」
お花をくださいました。
「あの時とてもうれしかったから」
「ああ~~、ありがとうございます」
そして、先生はひざまずき、私のギブスした足をさすってくれました。
「痛々しいですね~~~」
「先生ありがとう」
私は涙がこぼれそうになりました。とてもうれしかったのです。
先生は、ほどなく帰られました。
とても心のこもった、お見舞いでした。
先生のくださった花束には、かわいいひまわりが入ってました。
私は、先生の優しさをかみしめました。
実は、もうずいぶん前のある日、先生からメールが来たことがあったのです。
遠方の旧友が急逝したので、葬儀に参列するためレッスンをお休みさせてください。
との内容でした。
私はすぐ先生にメールしました。
了解しました。先生深呼吸して。深く吐いて深く吸って。
今の先生に必要なのは、メシ、フロ、ネル。
他のことは、周りの方にお願いして、気を付けていってらっしゃい。
返信不用。
それから私は先生のことが、心配でした。
その時私は、減薬中でした。結局減薬は不成功に終わったのですが、減薬中私は、病気になる前の自分と性格と、病気になってからの自分の性格のはざまで揺れ動いていました。
とにかく、30年ほど前から、ずっと心の病気のお薬を飲んでいますので、それを減らした途端に、とても懐かしい病前の性格が帰ってきている状態でした。
私は病前は、いつも仲間に囲まれて暮らしており、人なっこくて、とてもフレンドリーな性格でした。
たぶん、人を思いやる気持ちも普通の人より強かったのだと思います。
病気になってから、人を思いやるあまり、自分がつぶれるという経験を何度かして、いつしか、孤独を選んで生活するようになりました。
長い話になりますので、減薬と減薬の不成功に関しては、またの機会にお話ししたいと思いますが。
ヨガの先生が、突然の御不幸に見舞われたその時、私は、病前の性格の自分でした。
先生のことが心配でした。
普通に生活していても、「先生は泣いて見えないかな?」とか、気になるのです。
そんな時、スーパーで買い物していたら、ふとひまわりの花が目に飛び込んできました。
よくよく見ると、お花売り場に、とても生き生きしたひまわりの花が入った花束が並んでいたのです。
「これだ!」と思いました。
私は、そのひまわりのはいった花束を買って、チャリで先生のおうちを目指し飛ばしました。
そして、先生に手渡しました。
「スーパーで見つけました。先生が少しでもお元気になられるかと思って」
その時の、先生のうれしそうな雰囲気を今でも忘れることができません。
そして先生は
「ありがとうございます。やはりあの時、うまく深呼吸ができませんでした」
とおっしゃいました。
私はちょっと笑顔で会釈し、チャリに飛び乗り帰宅しました。
あのひまわりをみて、元気をもらわない人はいない。私の確信でした。
まさに病前の自分がさせた行動でした。
さて、自分が車いす生活で、先生のお見舞いを受けたときは、私はもう減薬不成功して、ずいぶん時がたってました。
病前の自分であれば、普通に道を歩いていて、普通にこけて、全治6か月の骨折をすることさえ考えられないことなのです。
それが心の病気を得て、お薬を飲み、ちょっとした不注意で大けがをしてしまう今の自分です。もちろん落ち込んでました。
だけど、ヨガの先生が下さった、かわいいひまわりのはいったお花を見るたび、心が癒されました。
車いすに乗って、幸せを感じていました。
先生のことが、以前にもまして、とても大切な存在になりました。
先生の個人的なことに踏み込む内容ですので、ブログとしてアップするのはためらいましたが、とても大切な思い出ですので、記録として残します。
先生ごめんなさい。そしていつもありがとう。
ヨガを再開しました。
ヨガのレッスン。
私の通っているヨガスタジオは、自宅から徒歩5分。
普通のお家がスタジオで、普通の若い主婦が先生の、お気楽なお教室です。
お教室の最後に、カードにスタンプを押してくださる。
ここが、私のお気に入りなのですが、先生は、スタンプの上を、そっとティッシュで押さえてくださり、お洋服やバックの中を汚さないように配慮してくださいます。
この気配りがいい。
このスタジオには、この先生の細やかさが、隅々に至るまで配慮されています。
自宅ですから、もちろん家具とかもありますが、ガラス扉には素敵な優しいファブリックが張られ、目隠しされています。
レッスン中に気が散るということがありません。
床はピカピカに磨かれ、塵一つ落ちていません。
大きな掃き出し窓には、レースのカーテン、そして雨戸はしめられています。
外の音に気が散るということもありません。
環境音楽が流れ、空気清浄機の作動する静かな音がしています。
先生の呼吸の音がよく聞こえます。
先生は、独特の呼吸法をされているのでしょう。
深く吐く。深く吸う。
その音に合わせて、私も呼吸を整えていきます。
自分の呼吸が乱れたら、先生をよく見ます。先生は体全体で呼吸をされているので、私もそれにあわせて、また呼吸を整えることができます。
いろいろなポーズをとります。
ポーズとポーズの間には、必ず身体を緩ませます。そして大きな呼吸をして、また呼吸を整えます。
私はもともと、どちらかというと関節が外向きについています。だから、ヨガにあっている体つきなのではないでしょうか。
ポーズをとっていて、苦しいと思うことが少ないのです。
始めてヨガをしたときから、「なんて楽なのだろう?」と思いました。
そして、この先生のお宅で、初めてヨガをしてから、自分の身体に起こった奇跡のような変化を、そっと観察した私は、ヨガは私に合っている。との思いを深くしました。
なんでも、興味を持ったら熱中する私です。
1年ほど、朝6時に起きて、掃除をしてから、ヨガを1時間する生活をしました。
その時に、職場に隣接した整形外科に、アスリート指数を計る機械が導入されました。
試しに計ってみたら、全女性職員中一番いい結果が出たのです。
その後、ヨガ熱も冷めたりして。サボることも多くなりましたが、そんな時でも、
「ああ~~ヨガがしたい」といつも思っている自分に気が付くのです。
今日もヨガのレッスンにお邪魔いたしました。
ながい間サボっていて、2回目ですので、最初は深い呼吸ができません。
それが、レッスンの最後には、先生と同じリズムで、深い呼吸ができるようになっているのです。
ヨガの呼吸は、鼻呼吸です。
昔から、口呼吸だった私には、これを習得するのにずいぶん時間を要しました。
多分、自宅で毎日、朝ヨガをしていなかったら?たぶん今でもできていなかったでしょうか。それほどまでに、私にとっては、鼻呼吸は難しかったのです。
ご存じですか?座禅の呼吸も鼻呼吸なのです。
鼻呼吸は、心を落ち着かせ、心を静めるのにふさわしい呼吸法なのです。
つまり、私の心の病気にとても有効な呼吸法なわけです。
私は、頓服を飲むほど心が乱れたとき、必ず鼻呼吸をしてみます。
爽やかな空気が、鼻から入ってきます。暖かい空気が鼻から出ていきます。
救われた気持ちになります。
ヨガは本当にいいです。
これで、1回700円。
お得人生まっしぐらです(笑)
心の病気の人が、普通の病院にかかるときに体験すること。
私の心の病気の正式名称は「非定型精神病」です。
悪化すると、妄想を抱き、精神科病棟への入院を余儀なくされます。
しかし、私は、この13年間入院するほど悪化することなく、どうにか普通に暮らしています。
普通といっても、鬱になったり、躁気味になったり。軽く妄想的になったりはします。
お注射のお世話になったり、静養を必要とするときもあります。
常に自分の心の声に耳を傾け、自ら、今の自分に最善の方法を模索しつつ生活をしています。
しかしですよ!そんなに突然暴れだしたりすることはないですし、人が説明してくださることは、普通に理解できます。
こんな私が、普通に病院を初診するときのお話をします。
今日のところは、ある歯医者さんを受診した時のお話をしましょう。
私は、ある、優しくて、腕の立つ、比較的良心価格の歯医者さんにずっとお世話になっていました。ところが、その歯医者さんは、残念ながらすごく遠いのです。
車を持たない私ですので、バスを乗り継ぎます。
片道、1時間半かかるのです。
少し頭を悩ませていました。
そんな折、うちの近くに新しい歯医者さんが建ちました。徒歩5分です。
ついふらふらと、予約しました。
さて初診日です。
受付で、ボードに乗った問診票を手渡され、記入しました。
私は、どこの病院でも、心の病気のことは、正直に書きます。
お薬手帳も提出します。
「おかけになっておまちください」
待ち時間の異常に長い、歯医者さんだと思いました。
歯の掃除をするだけなのに、どんだけまたせんねん?と思いながらじっと待ちました。
やっと順番が来ました。
そしたらなんと、特別診察室みたいなところに通されました。
「この椅子におかけになってお待ちください」
診察椅子を勧められました。
素直に座りました。
それから30分放置です。
完全個室です。
テレビも雑誌もありません。
普通の、歯医者さんの、診察椅子に座って、
ただひたすら待つのです。
「ああ~~。私の病名に恐れをなしておるのだな~~。私は暴れませんよ~~。叫びもしませんよ~~。しかし何の説明もなくこの状況。普通の患者さんなら怒り出すこと確実だよね~~。歯の掃除をしてくださって言ってるだけじゃん~~。これ私、ちょっとかわいそうなことになってない?そろそろ、あと何分ぐらいお待ちくださいって、説明あってもいいんじゃない?」
私の心の病気は、今安定しているのに、まるで、暴れだす人間にする処置をされて、やっと30分後。
衛生士さんが入ってみえました。
「普通の診察台で診察します、こちらにおいでください」
普通に、歯の掃除をしてもらって、帰宅いたしました。
異常に、診察料金が高かったことが、記憶に残っています。
私もある程度、心が傷つきました。
実はですね、私は、心の病気の病名を書いた問診票を出した後に、必ず、お願いすることがあります。
「こんなお薬を飲んではいますが、今病状は安定していますので、ご説明していただければ、理解できます。何でもご説明してください」
これって、突然暴れだす人間が言うことじゃないよね。
ああそれなのに。
かわいそうやわ!この処置!
私は、自分で自分に同情してしまいました。
「ゆりりんこちゃん。こんな目に会ってまで、この歯医者さんに来る必要ありません!あなたがかわいそうです。今日のことは忘れなさい。来なかったことにしなさい。二度とこの歯医者さんには来ないように」
心の声が聞こえました。病気でではなく。つらい思いをした人が普通にするように、自分を励ましたのです。
この歯医者さんには、その後一度も足を踏み入れていません。
私にすれば当然です。
面白い話なんですが、実は、この歯医者さんには、私の療友もかよっているのです(笑)
多分、問診票に何も書かなかったと見えて(笑)
あの歯医者さんには、何年も引っ張られて困ってる。とのことです(笑)
私の人生、いつも、ついてないようで、ついているのです。
あんな、治療費の高い歯医者さんに、何年も引っ張らられなくてよかったです。
心の病気の人間が、普通の病気で病院にかかるときには、いろいろ理不尽な目に会うので、また機会のある時に、その体験をお話したいと思っています。では。
乳がん再発。全摘か?温存か?
さて。告知直後。全摘を決めて、帰宅した私。
先生の意見も聞かずに。
翌日辺りから、先生のご意見はどんなだったのだろう?
と気になりだしました。
先生のご意見を聞いてくるべきでした。
決定が早すぎました。
ワーカーに相談してみました。
「そんなもの!とってもらいなさいよ!そんなぺったんこの胸、ついてようがついてなかろうが、同じじゃないの!なやみなさんな!最終的にはあなたの判断だけど。そんなことで悩むのは時間の無駄よ」
そうなのよね~~。ほんとうにそう。わかっているのよ。
でもなぜか揺れる女ごころ。
ずっと、片方巨乳、片方高校生の胸で過ごしてきた私。
ワコールのリマンマという、乳がん専用ブラジャーをしなければ、外出もままならなかった10数年間。
ああ!普通に売ってる、普通のブラジャーをしてみたい。
それは私のかなわぬ夢だった。
今回。温存で手術してもらって、両方同じ大きさになれば、普通のブラジャーができるようになる。
これは、女性の皆様方にも理解していただけないかとは思いますが、私はそこに夢を見てしまいました。
リマンマのブラジャーは、そんなにバカ高いものではありません。
でも、セシールの3倍くらいします。
ああ!普通に売ってるブラジャーがしたい!
私はまた暴走行為に出てしまいそうな自分を感じました。
最初の手術の時に
「死体になって、胸がついていてうれしいのか?命が大事だろ!」
と進言してくれた兄の言葉を思い出します。
深く心に残っている言葉です。
しかし、一度、乳腺外科の先生のご意見を聞いてみよう。という欲求をとめることはできませんでした。
次の受診の時に、素直な気持ちを聞いていただきました。
「そうね。温存でも、全摘でも、どちらでもいいですよ。この場合」
「えっ?本当ですか?」
「そうです。あなたの望む方法を選ぶことができます」
「ええ~~~っ?左右同じ大きさになれるってことですか?」
「そこは私が頑張ります。全く同じ形というのは少し無理ですが、近い感じにはできます。外見上わからない感じにできると思います。あなたが望むなら、私も頑張ります」
「先生、ホントですか?夢のようです!」
「はい。手術方法をチームで相談いたしますので、入院前の最後の検査までに決めてもらえばいいですよ」
「先生ありがとう!もし先生ならどちらにしますか?」
「そうね私なら、全摘します。そんなに仕事を休めませんから。温存にするともれなく放射線治療がついてきます」
「ええ?そうなんですか?」
「抗がん剤治療も必要ならしますよ」
「全摘なら、なしですか?」
「必ずないとは言い切れませんが、リスクは低くなることは確かです」
「そうなんですね~~~」
すこしがっくりして、診察室を後にしました。
そこから私の悩みが大きくなってしまいました。
即座にあきらめればいいものを、普通のブラジャーができるという夢を、そんなに簡単に手放すことができませんでした。
また、入院先の大学病院の精神科のS先生に、お手紙を書きました。
放射線治療と抗がん剤治療を受けることになったら、精神科の病棟で預かっていただけませんか?とのお願いの手紙です。
そのうち、S先生受診の日が来ました。
ご親切にも、預かってくださるとのこと。
いろいろとご心配いただき、優しい言葉もかけてくださいました。
温存の準備は一応整いました。
しかし、兄の顔が浮かんでは消えました。
「死体に胸がついていて、嬉しいのか?」
まったくその通りです。
この場合、命最優先ではないでしょうか?
最後の検査まで、悩みに悩みぬきました。
「死にたくない」
そうです。その通りです。
最後の検査を受けながら、乳腺外科の先生に、
「やはり全摘でお願いいたします」
と、伝えました。
「私も相当頑張るつもりはしていたのですが、本当にいいんですね?」
「はい、最後まで迷いました。ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。手術のことは今から決めることですからいいんですよ」
「よろしくお願いいたします」
「頑張りましょうね、それなら、1週間程度の入院ですむと思いますよ」
「ハイ、頑張ります」
この話には後日談があります。
実は、手術の時に切り取った胸を、研究所に送って、お肉の切り落としみたいにして、どこまで、がんの細胞がひろがっていたか調べる検査があるのです。
この検査には、結構時間を必要とします。
手術して、1か月後ぐらいのことでしょうか?
「大変なことがわかりました。あなたのがんは、予想をはるかに超えて広がっていました。温存なんかにしていたら、どんなことになってたかわかりません。全摘で正解でした!」
「お~~~~っ!よかったです!それで大丈夫なんですか?」
「だいじょうぶです。今回の手術で悪いところは全部取り切れています。本当にラッキーでしたね!」
「悩んだかいがありました」
「ほんとうによかったですね」
いつも思うことなんですが、私という人間は、ついてないようでいて、すごくついてるんですよ。いつもそう思います。(笑)
今回は、兄の言葉が決め手でした。
「死体に胸がついていてうれしいのか?」
お兄さんありがとう。